レオナール・フジタ展


2008/11/30
上野の森美術館にて開催している「没後40年 レオナール・フジタ藤田嗣治)展」をみてきました。藤田といえば、パリで成功した日本人画家ということしかしりませんでしたが、この展覧会を通して、彼の作品のみならず人生を垣間見ることができました。
20歳で世界旅行をしているが、その時代に世界旅行へ行くとはかなり恵まれた境遇であったことは確かだ。14歳にて画家になる許しを父親に得たというエピソードは、彼の波ならぬ決意の固さ、信念を感じる。
27歳でパリへ渡ります。私の好きな画家、ピカソモディリアーニと交友があったというフジタ。モディリアーニの描いたフジタの肖像。彼らの目に映った日本とは日本人とはどのようなものだったのだろう。興味深いです。
西と東の融合。
日本画の繊細な線、彼を有名にした乳白色を基調とした色世界。ルーブル美術館での模写を通して得たスケッチ力。彼の作品には日本と西洋美術、両方がうまく共存しています。
行方不明となっていた「幻の作品」、「構図」と「争闘」は圧巻です。縦横3メートルというサイズのインパクトもありますが、まるでミケランジェロのような力強い人間の肉体の描写、そしてやわらかくつめたい乳白色。パリの国家プロジェクトとして、6年をかけて修復された絵。この修復によって、彼のなぞであった特殊な技法があきらかになったそうです。
彼は大変器用だったようです。ミシンが得意で、身の回りのもの、奥さんのシャツも作っていたとか。箱や屏風、絵の額、器、あたたかい手作り品も展示されていました。なんでも自分でつくっていたのですね。今の生活では面倒くさく感じてしまいましたが、手作りの生活、どっぷりとつかってみたいような気がします。それはとても豊かな生活だと思うのです。
彼は59歳のときにカトリックに入信しました。その後の彼の作品は、宗教色の強いものが多くなりました。新しいスタイル、コミックのような線だと私は思うのですが、で彼の宗教観を表現しています。「花の洗礼」はボッティチェリのような華やかさと構図だなと思います。そして、彼が晩年をささげた「平和の聖母礼拝堂」。建築からステンドグラスまですべてに彼の魂がそそがれています。ランスの地にぽつんとある礼拝堂、異国の地で制作を続けたフジタの尊厳と孤独のようなものを感じます。